辺野古の高校生死亡事故と海保の責任問題

更新日:8月25日
辺野古の事故で海保の責任が問われている。
あの時の状況から、海保の救助が不適切ではないかと疑義が出ているからだ。適切なら死者がでなかったかもしれないというのだ。
これに対し、悪いのは事故を起こした船舶だから、海保を責めるのは不当だと言う人がいる。この「元々の原因」論法なら、そもそも税金の無駄で環境に有害な埋め立て工事をするから抗議されるので、あくまで悪いのは国だけ、ということになってしまう。
なにより海保は海上で救助を任務とする公的機関だ。
もしも、マリンレジャーで海難事故となり死者が出たとして、元はと言えば遊びに来て無茶したのが悪いから充分な救助できなくても海保は悪くない、なんてことで納得できるものだろうか。ほんとうに無理だとしたら、海保の能力はマンガで『海猿』と美化されただけなのだろう。
かつてキャスターの辛坊治郎がヨットで海難したさい、海保と自衛隊が救助に向かい多額の国費が費やされた。船舶と航空機の燃料だけでも五千万円くらいかかったと言われている。いつもテレビで国民に「自己責任」と言い放っていた男なのに、図々しいにもほどがあると非難された。しかし誰であっても救助は職務である。

これは辺野古でも同じだ。
しかも抗議行動ではなく見学に来た人だって居た。それは前からのことだったから、とっくにわかっていたことだ。それなのに救助できなければ、追及は当然のことだ。
そもそも事故の原因究明や責任追及と、救助が適切だったかの検証は別問題である。あのとき現場には常に10人を超える隊員が配備されていたが、潜水用具をつけて救助対応出来る人員がいなかった。ここでは過去に船の転覆があったというのに。
ところが海保は抗議船を敵と見做していた。
それまで警備と規制のさい、しばしば酷い暴力をふるっていた。それでも事故があったら救助は当然のことだ。警備と規制をするにしても、事故があったら人命尊重で救助はするものだ。しかし、辛坊治郎は自己責任論者だが、それを言うのはいつも権力に媚びてのことだから助けて、政府に抗議する者は非国民だから助けない、ということなのか。あの転覆事故があった時は、その船舶は抗議行動をしておらず、いつも抗議行動をしている人や団体とは無関係の人達が見物のため乗船していたのだが。
つまり海保が行政機関として当然の政治的中立を守っていたら、警備や規制と共に救助の用意をして当たり前のはずなのに、しておらず、これは怠ったというより、中立でないため抗議する者を敵視していたのであり、さらに関係のない高校生らが見学に来て巻き添えになったという違法性が疑われているのだ。
つまり海保の救助に責任が無いという論法は通用しない。
これは救助が適切だったのかという以前の問題である。それを、責任の有無について検証することを否定したがる人達がいる。なぜ、検証したら適切だったという結論になることを期待しながら待てないのだろうか。
まず、船舶に所持者と周囲の関係者ではない人を定期的に乗せるには、それが料金を取らなくても、事業の登録をしなければならない。これを知らずに船舶の所有者と運航者たちは外部の人達を乗船させ、そこに修学旅行の高校生までいた。
ここで行政機関が無登録を指摘し部外者の乗船を止めさせていたら、高校生が死ぬことはなかっただろう。海保の上の機関は国土交通省であり、ここが事業登録について管轄しているのに、業務を怠っていた。
そんな問題になっては困るから話を逸らしたいのだろう。
ついでに事故を政治的に利用する。この事故と無関係な沖縄県知事選挙にこじつけて、いつまでたっても完成しない無駄な埋め立て工事を容認する中央政府寄りの知事が当選して欲しいのだろう。また、抗議行動をしている運動団体が共産党と関わっているので攻撃に利用もしている。これこそ死者を冒涜する行為である。
あと同志社国際高校の偏差値は68、とても高い。もともと一般的に、秀才学校ゆえ進歩的なことして権力から睨まれたら、偏差値の低い人達の僻み根性で、ここぞとばかりに便乗して攻撃する者がいるものだ。そしたら、やはり辺野古の事故があったら、いかにも偏差値が低いヤクザな人達のたまり場である右翼団体の街宣車が同志社国際高校へ嫌がらせに押し掛けた。SNSでもネトウヨが同様の言質であるが、こういうことは昔からあったことなのだ。



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