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​炬火 Die Fackel 

執筆者の写真: 井上靜
井上靜
18 時間前
読了時間: 3分

 乳腺外科医事件、以下は某サイトのAI要約である。

 2016年、東京都足立区の病院で乳腺腫瘍手術を受けた女性患者が執刀医を準強制わいせつ罪で訴え、裁判は東京地裁の無罪から高裁の有罪、最高裁差し戻しを経て2025年3月に高裁が再び無罪を支持。検察の上告断念で確定しました。判決では患者の供述信用性に疑問があり、麻酔覚醒時のせん妄による性的幻覚の可能性を指摘。X上で医師側は「現場ではあり得る」と擁護し、法曹側は注意義務の重要性を強調する声が交錯しています。この溝が医療と司法の対話を促すきっかけとなりそうです。


 裁判司法の問題としては「疑わしきは被告人の利益に」の大原則が守られてないことだ。

 高裁で一度は有罪になった時も、その疑問があった。それなら無罪にすべきであった。日本の司法では大原則が守られていない。これは昔から問題になっているのに、少なくない裁判官が相変わらずなのだ。

 相変わらずと言えば、病院の方もだ。この事件によって多くの医師たちが、もともと麻酔よる幻覚はあると言っている。医師が一般むけに書いた本にも、自分が患者となって手術を受けたさい、麻酔の幻覚があったと記述されているほどだ。それなら、なんで病院が対策を講じないのか。あの『ER』というアメリカの病院ドラマは人気で日本でも放送されたが、ここで、女性の患者に男性の医師が当たる場合、猥褻行為と、それを疑われないようにすることの、両方を同時に防止するための対策が、当たり前のように描かれていた。



 この事件で医師と弁護士の両方が間違った発言をしていた。

 その内容は様々だが、一つ、見過ごせない発言が弁護士の側からあった。この事件をきっかけに司法を批判する医師たちの中には、あきらかに間違っている非常識な発言をしている者たちがいる。それに対して、ある医療紛争を通して多くの医師を見てきたという弁護士が言っていた。医師は、冤罪であるかではなく、ほんとうに誤りがあっても医師の責任を問うなんてとんでもないと思っているようで、これが多くの医師の本音ではないか、と。

 しかし、専門家としての矜持が無い医師もいるが、矜持がある医者なら「誤りがあれば責任を取って当たり前。そのために保険に入っている」と言うもので、居直るのはだいたい医師に雇われた弁護士の方だ。自分のクライアントについて「医師は社会的地位が高いから責任を問われることがあってはならない」とか平気で言う。これに医師の方が赤面したり憤ったりすることもある。そんな擁護の仕方は迷惑千万だから。しかし医師に雇われる弁護士は一生懸命やっているから言うのであり、本気でそれが正しいと思い込んでいるのだ。


 このあたりを、医学界と法曹界の双方が、正しく認識するべきである。

 これは自分でも体験があるが、医師の差別意識に怒っていたけれど、実は医師に雇われた弁護士の仕業だった、ということがあった。

 もう医師と弁護士のどちらもAIに取って代わられてきて、近い将来は無くなりそうな商売で、少なくとも社会的に尊敬されたり地位が高いと言われたりすることは既になくなっているのだから、あまり醜いことはしないのが賢明である。気づいていないのだろうが。



 
 
 

更新日:9月12日

 朝日新聞が空々しい『社説』を掲載した。

 「皇室典範の改訂を強行すれば禍根を残す、総意離れた暴走やめよ」という内容だ。

 その要旨とは、皇室典範改正案が「国民の総意」はおろか、「立法府の総意」からも離れていて、将来の女性・女系天皇への道を封じ、男系男子での継承への固執は明らかであり、このような内容の問題に加え「静謐な環境」も失われているから、成立を強行すれば禍根を残す、とのことだ。

 いちおう社説ではあるが、ここに社の独自性が読めない。



 この社説は宮内庁の意向だ。

 昔から朝日新聞は宮内庁とべったりだ。それで、宮内庁から皇室の情報をもらって「スクープ」を続けてきた。この商売に差し障りがないように、常に宮内庁の顔色を伺ってきたことは、ジャーナリズム問題に関心がある人たちにとっては常識である。 

 もちろん、社説の指摘は正確な事実に基づくものであり、内容的に正しいけれど、宮内庁の威光を笠に着ないと政府を批判できない朝日新聞ということでもある。


 

 日本弁護士と東京弁護士会は「国旗損壊罪」に反対する声明を発表した。

 すでに散々言われてきた国民の「内心の自由」や「表現の自由」を侵害するおそれがあると批判する声明である。そのとおりではあるが、今さら言っても遅い。

 昔から、各弁護士会と日弁連は、ファッショ的な法案に対して、いつも安全なところから反対する声明を発表するだけで、反対したために権力から迫害されてる人を弁護することは絶対なく、逆に権力と一緒になり迫害に加わる。

 だから反対なんて嘘である。


 このような似非良識によって日本は偽装されているのだ。

 
 
 
執筆者の写真: 井上靜
井上靜
4月23日
読了時間: 3分

 オウム真理教事件の当時、空中浮揚して見せる弁護士がいた。

 これは、オウム教の教祖が信者に空中浮揚して見せたことに対して、自分でも出来ると言ってのことだ。ちょっと得意になっている様子だった。

 それが最近、これはあの時の印象だけでなく、やはりほんとうに得意になっていると確信させることがあった。なんとSNSのアカウントに、空中浮揚して見せる自分の写真を掲せていたのだ。

 これを知ったのは、その弁護士が他の弁護士を批判するなどの行為があって、それに反感を持った人達が騒いだため、であるが、その騒ぎには関心がない。



 この弁護士はオウム真理教事件の当時テレビに何度も出ていた。

 そのさいの言動が「気持ち悪い」と不評だった。ただし、あの当時テレビに出てオウム真理教を非難する人達は、だいたい評判が悪かった。そんな連中しかいないのかと言ってテレビは批判されていた。それは番組を製作する姿勢が不真面目だから、そんな連中ばかり出すのだと指摘されていた。そんな中の一人が空中浮揚して見せる弁護士であったにすぎないが、その弁護士はカメラ目線で奇妙な語りをするから、この方がよほどカルト宗教的だと言われて気持ち悪がられたのだった。

 そこで問題なのは、その弁護士がオウム真理教を批判するネタとして、自分だって空中浮揚することができる、という的外れな話をしたからだった。   

 

 あの教祖は、空中浮揚を超能力のように言っていた。

 これに対して、その弁護士は「私にもできます」と言った。まるで自分にも超能力があると言っているように。もちろん、超能力なんてありえないとの前提で、超能力はトリックだと言いたかったのだろう。そう言えば済むことであるから、なにも自分で空中浮揚して見せる意味はない。

 なのに無意味なことをして見せるから、オウム真理教の信者は否定して言った。教祖は浮揚すると空中で停止したうえでゆっくりと降りてきたのであり、その弁護士のやっているように飛び上がるのとは違う、と。

 これも、一旦飛び上がれば後は力を入れて似たような動きができるのだから、念で浮く超能力である証明にはならないけれど、その弁護士が超能力であることを否定しようとして「私にもできます」なんて言うから、それを否定しようとして信者が言い返したのだった。


 そもそも、教祖が信者を得たのは超能力によってではない。

 あたりまえである。宗教は先ず教義を信じることから始まるのだから。そして実際にどうかとは関係なく超能力だと信させることにも成功したのだ。他のことも信じさせたうえで。

 それに対して超能力ではないと言っても本当の否定にはならない。「鰯の頭も信心から」というやつで、いくら鰯の頭を否定しても信じる心の否定にはならない。なのにあんなやり方をするとしたら、その弁護士も空中浮揚を超能力と称して教祖になって信者を獲得できてから実は嘘だと告白して騙されてはいけないと言うことで始めて否定になる。でも、それは無理だろう。あの教祖にはカリスマ性があったのだから。喩えば、アイドル歌手の歌唱力に対して、その程度なら自分だってと不細工なオッサンがカラオケで歌ったところで恥ずかしいだけ、というのと同じである。


 これはオウム真理教事件の当時から視聴者に指摘されていた。

 あれから随分と経過したというのに、その弁護士はサッパリ気づいていないということだったのだ。これをSNSのアイコンに載せている空中浮揚の写真から知った。

 そして困るのは、そんな宗教の厄介さと信教の自由などの法的な問題について、弁護士がまったく解っていないことに、なのだ。解からない弁護士は圧倒的に多いが、それでもマスメディアが不真面目に取り上げるから、なおさら迷惑するのだ。

 
 
 
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