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​炬火 Die Fackel 

執筆者の写真: 井上靜
井上靜
8月16日
読了時間: 3分

更新日:8月24日

 『風の谷のナウシカ』が久しぶりに放送されて話題だった。

 『風の谷のナウシカ』の放送というと思い出すのが、うちの母親の勘違いである。映画公開の当時、「ナウシカガール」という宣伝キャンペーンがあって、選ばれた安田成美がナウシカの衣装を着たりセットの前に立ったりしていた。これをたまたまテレビで観たうちの母は「なんて可愛い子かしら」と言っていた。そのあと他の番組で宮崎駿のインタビュー見ると「この人面白い」と。

 だから関心をもって『風の谷のナウシカ』が放送されると観た。そして「映画は良かったし、なんて上手なのかしら」と感心していた。ナウシカの声が安田成美だと勘違いしたのだ。


公開当時のプログラムより
公開当時のプログラムより

 これは既に拙書で述べていたことだけども、虫を鎮めるのに綱を振り回したり、その少女が取り憑かれたり、ということでは『風の谷のナウシカ』と『エクソシスト2』は同じである。

 もちろんそれらは上辺のことで、『エクソシスト2』は古代エジプト人とバッタの話ではあるし、『風の谷のナウシカ』の元のネタはレイチェルカーソンの『沈黙の春』だ。


 文明が崩壊したあとの世界が『ナウシカ』の舞台である。

 汚染された土壌に巨大菌糸類の密生地が出来て、そこから猛毒の胞子が発生する。それで焼き払おうとすると、中に群生している巨大な蟲たちが暴れる。人は蟲を殺したいと考える。

 しかし、それらは汚染を浄化してのことであり、大地の自浄作用を蟲が守っていた。だから浄化された井戸水で菌糸類を栽培すると、全く毒を出さない。これをナウシカは独自の実験で突き止めていた。


 コロナウイルス以前にマスクを習慣付けてくれたのは杉の木である。

 もとはといえば、乱伐採を繰り返して、木を切ったまま放置すると山崩れするからと、成長が早い杉を代わりに植えていたのだ。それで山は杉の木ばかりになる。その花粉のため人はマスクつける。自然破壊が原因で。

 まるで『風の谷のナウシカ』と同じ構造ということ。


 風の谷が軍事大国に侵攻される場面がある。

 そして軍事力で威圧され、「王道楽土」建設に協力しろと迫られる。この言葉は1933~34年の侵略戦争スローガンだった。「日本、蒙古、満州、朝鮮、漢」の5族が一体となる「満洲国」が、「王道楽土、五族協和」ということだった。そして殺戮と略奪を美談として言いくるめた。

 この歴史を踏まえて描いているのは明らかなのだが、それを共感すべきことだとして宮崎駿を非難していたのが、佐藤誠三郎と佐藤誠欣子という御用知識人夫妻の息子の健志だった。


 この人は、最終兵器を用いて蟲を殺し菌糸類を焼き払うのが正しいと説いた。

 なのに反対するナウシカは「バカ」とまで罵った。レイチェルカーソンも、生態系を問題にして殺虫剤の濫用を警告したのに、虫を哀れむ感傷的なバカ女と非難した人達がいたのだから、それと同じことなのだろう。

 それに、掲載されたのは今は無き極右月刊誌『諸君!』(文藝春秋社)誌上でのことだから、その特色に迎合したのだろう。もちろん親譲りである。前にどこかで佐高信が批判していたけれど、息子ではなく母親の方を問題にしていた。

 また同じく『諸君!』誌上で、伊佐千尋というノンフィクション作家(陪審員裁判の体験談『逆転』が有名)が、先述の佐藤欣子について、元検察官の弁護士であるが、この人の理想とする司法は江戸時代の代官という発想だと手厳しく批判していた。


 そんなことを思い出した。

 それだけ内容が深い映画ということだろう。

 ちなみに、かつての拙書はこれである。

 
 
 
執筆者の写真: 井上靜
井上靜
7月8日
読了時間: 3分

更新日:7月9日

 ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』がYouTubeにて無料公開。

 前にもゲリラ投稿ならあった。

 初公開の87年に渋谷のミニシアター「ユーロスペース」で観たけど、大変な賑わいだった。 絶対に受けるけれど内容が内容なので配給会社が尻込みして単館上映になったらしい。

 この当時ユーロスペースは、よくホラー映画を上映していた。そのうちスチーブンキング原作・デビットクローネンバーグ監督の『デッドゾーン』を観た時に予告編を上映していて知った。



 そして映画館での笑いが話題だった。

 戦争体験の怨念から天皇誕生日に皇居に押しかけるなどの過激な行動を止めて欲しいから、警官が煽てて「先生」と呼んだり、結婚式の媒酌人をしたさい、かつて新郎が学生運動で火炎瓶を投げて逮捕された過去のあることを堂々と紹介し「この結婚式は晩酌人と花婿が共に反体制活動をした前科者であるがゆえに成立した類稀なる結婚式でございます」とトンデモな挨拶をしたり。それで観客が笑っていた。


 後にビデオでうちの母親に見せた。

 「 おじいちゃんに見せたら気が狂う」と言った。戦争に行った体験があり、例の人肉食の話は、自分では認めてないけど、多分そうじゃないかと親戚中から言われてたからだ。公開当時この映画を観た手塚治虫も、自分の父親が戦地に行った時の体験を話すさい、肉を食べたという話に、どうもひっかかったと言っていた。

 また、機会があって当時は朝日新聞の記者だって本多勝一さんに『ゆきゆきて、神軍』をどう思うか と訊いたら対談で触れたと言うので、それを読んだ。観て面白かったんだけど、歴史修正主義者が戦争美化するんじゃなく、当事者が恥じて隠すという図式がよくわかる、ということだった。


 あの映画は原一男監督の才能によって面白い。

 そこを勘違いするなと言う人もいる。主人公の奥崎謙三はあくまで奇人変人だから。それを言ったら、次の映画『全身小説家』の主人公である井上光晴にも同じことが言えるし、それ以上に、もっと後の映画『れいわ一揆』の主人公である東大のエドウッド先生にも言えるのではないか。



 ところで夜店の射的ゲームでファシストを撃つのが如何かという議論があった。

 このことで、関与した党員のことから共産党が声明を出すまでの騒動になったけれど、そしたら動画サイトで『ゆきゆきて神軍』が話題というタイミングである。

 あの奥崎謙三が騒動を起こした事件とは、皇居の一般参賀で防弾ガラスの向こう側の裕仁天皇にゴムパチンコを撃ちながら戦死した戦友の名を叫んだから、テロではなく抗議行動になったと映画公開当時に言われた。

 だから、あの射的もパチンコにすれば良かった。

 
 
 
執筆者の写真: 井上靜
井上靜
4月19日
読了時間: 3分

 『ガンダム』生みの親である富野由悠季が語った。

 このSFアニメ映画は、戦争について、けっこう生々しい現実を描いたところがあるけれど、それを子供むけのアニメ映画でやったのは子供が見た方が影響があると考えたからで、ところが見て育った人たちの中から改憲論者が出てくるのはつらく、これは自分が失敗したせいだ、という趣旨の発言を繰り返している。

 この話題は、あの「オタクによる反戦平和デモ」と絡めて引き合いに出されている。


 これについて、受け手の側に問題があると言う人たちがいる。

 そう言う人がいるのも解かる。それは自分の同級生であった。彼はマンガとアニメが大好きで、コミケにも行くし、『ガンダム』も大好きで、その作画を担当している安彦良和と偶然に出くわして声をかけてサインしてもらったことがある。仕事場が沿線にある西武新宿線でのことだったそうだが、そのサインを見せてもらった。「サインだけで良いかな」「じゃあ、お言葉に甘えて」と言ってアリオンを書いてもらったということだ。

 しかし、彼は富野由悠季が残念がる人そのものである。


 その同級生はSFにドラマやテーマなんて無関係と言う。

 だから、ガンダムに影響したハインラインの『スターシップトゥルーパーズ』についても、逆にというか戦争賛美の軍国主義SFなのに共感せず、なぜならテーマなんてどうでもいいことだと言っていた。

 そんな彼は次第にアニメよりもビデオゲームの方に傾倒して行った。これは彼だけではなかった。だからなのだろう。富野由悠季が次に手掛けたSFアニメ『イデオン』にも戦争風刺があったけれど、なのに音楽は何故あの人なのかという疑問を呈する人がいるけれど、あの作曲家は当時アニメの音楽もよくやっていて、ウヨったのは後になってからで、ドラマを求めないオタクが増加したので例のビデオゲームの音楽を作り、インターネットが登場すると「にちゃんねらー」の「ウヨ厨房」(ネトウヨの前身)となったことを公言したのであり、つまり信念ではなく商売で時勢に迎合したのだ。もともとそんな作曲家であったから、むしろ当然のことだった。



 それでも富野由悠季の失敗には変わりない。

 よく自分がアニメファンから非難されるのは『ガンダム』が失敗作だと言うからだ。もちろん商業的には成功したがドラマとテーマは破綻している。それは途中から「ニュータイプ」なんて概念を持ち込んだからだ。

 これは他でもない富野由悠季が、止めておけばよかったと明言したし、安彦良和は「選民思想」だと指摘し批判したけど、それ以上にドラマを決着するため「ニュータイプ」なんていうオカルトめいた題材でもってテーマを解決したからプロットが崩壊し、これによって反戦は中途で放り出されたのだ。


 ところが、ニュータイプがあるからガンダムは良いのだと言われる。

 これは熱狂的なファンほど言うことだ。そんな人はファシズムと親和性がある。富野由悠季も安彦良和もニュータイプを否定している事実があるにも関わらず、ガンダムを大好きで観ているのにウヨってる人たちは、選民思想こそガンダムの真髄であると信じている。これではファッショ化も必然的であり、これは同時にオタクによくある妄想でもある。これだから彼ら(彼女ら)は、ニュータイプなんてのはシリアスな作風を壊しているという指摘に猛反発するのだ。

 その意味で、やはり『ガンダム』は失敗作であり、だから作者のメッセージが伝わらなかったのは受け手の問題だけではなく作品に難があったということである。 

 
 
 
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